コミュニケートする企業
前回までは、「バリュープロミス」の重要性に焦点を絞ってお話してきましたが、いくらよい「バリュープロミス」を設定したとしても、それだけでは絵に描いた餅にすぎません。今回は、それらを現実のものにしていくには何が必要なのかを考えてみたいと思います。
「バリュープロミス」と「コミュニケーション」
これまでのあらすじを振り返りながら、今一度、ブランドとは何かを考えてみると;
- ブランドとは、「絆」。企業とステークホルダー(関係者)を結ぶ「絆」であること(Branding is bonding.)。
- その「絆」は、相互のコミュニケーションによって築かれる「約束=バリュープロミス」で構 成されている。
- 両者の強い約束(=ブランド)は、市場の擬似的な独占と持続的な購買行動を可能にする。そのために、最近は、企業の「見えざる資産」として注目されている。
- 「バリュープロミス」は、企業活動全体に横断的に、継続的にアライメント(調整)されている必要がある。
- 企業経営におけるブランド構築とは、両者の約束(バリュープロミス)をより太く強固にするために、意図的、計画的、戦略的にコミュニケーションを仕掛けること。
ということになります。
ブランドは、「バリュープロミス」が、企業とステークホルダーとのあいだで交歓(=コミュニケーション)されて、初めて「ブランド」として成立します。それでは、「コミュニケーション」とは何か。ここでは、単に広告やPRということではなく、もっと広い範囲のメディア(たとえば商品、売り場、価格、キーマン、口コミなど)と企業活動(売り方、社会的活動など)として捉えたいと思います。
シャノン(情報理論の創始者。)のコミュニケーション理論を借りるとすれば、「コミュニケーションとは、発信者(企業)のメッセージ(バリュープロミス)を、記号に置き換え、その記号を受信者の認識構造に変換してメディアにのせ、受信者に伝えること。そして、受信者がまたその記号を「意味」に変換して解釈することによりブランド像を脳裏に再生し、その反応として、受信者が送信者にフィードバック(イメージや購買行動)するという双方向のプロセスである。」といえます。
これらの「変換」「伝達」「双方向性」というプロセスをいかに仕組んでいくかということが、「バリュープロミス」に次ぐ、ブランド構築の2つ目の大きな柱になるといえます。
アップル社を蘇生した「Think Different」と「iMac」
1975年、高校を卒業して間もない、弱冠20 歳のスティーブ・ジョブスは、愛車フォルクスワーゲンを売ってつくった資金を元手に、自宅のガレージで友人とコンピュータキットの製造販売をする会社を立ち上げました。アップルコンピュータの誕生です。
1979年、自宅の近くにあるXEROX のパロアルト研究所を訪れます。スティーブは「アルト」という同所が開発したパソコンの原型に出会い狂喜します。それまでは、難しいコマンド(命令言語)を入力しないと動かなかったコンピュータが、「アルト」は、GUI(グラフィック・ユーザー・インターフェース)というアイコン(絵図)とマウスで誰でもが簡単に操作できるコンピュータだったからです。
早速、アップル社は、GUIを駆使したコンピュータを開発し、リンゴの品種の一品種名である「マッキントッシュ」という名の商品を売り出します(ちなみに、同時期にマイクロソフトのビル・ゲーツも同所の「アルト」を見学しており、後のWindowsに発展していきます)。
「マッキントッシュ」は、操作のし易さと自由で楽しいアイデア、豊富な投資家からの資金をもとに、拡大に拡大を重ね、米国の家庭用コンピュータのスタンダードにまで成長。後に「20世紀のもっとも重要なコンシューマ商品」と評価されるまでに至りました。
1983年、スティーブ・ジョブスは、経営基盤の拡充のために、当時のペプシコーラ社長、ジョン・スカリーを引き抜き、アップル社社長に招きます。アップルは、急ピッチで商品ラインを拡大していきますが、1985年、時の経済不振に巻き込まれ、業績低下や社員レイオフのやむなきにいたり、創業者スティーブ・ジョブス自身も開発遅延の責任をとらされ、自分が雇った社長に自分の会社から追い出されるのでした。
彼が30歳の時の事件です。
その後のアップルは、経営悪化の一途をたどります。そして、その12年後の1997年、身売り寸前だったアップルに、42歳になったスティーブ・ジョブスが復帰します。
その年の秋(1997年9月、日本では1998年1月)、アップルから一つのメッセージが放たれました。「Think different.」。パブロ・ピカソ、マリア・カラスといった人物が画面に映し出され、俳優のリチャード・ドレイファスのナレーションが流れました。「自分が世界を変えられると本気で信じられる人たちこそが本当に世界を変えているのだ。」
それは、スティーブ・ジョブスがアップルに戻り、全世界のアップルを愛するヤングマインドユーザーと、リストラで荒廃した社内の従業員に向けて放った宣言でした。この新しい企業ステートメント「Think different.」の発表では、ステートメントにこめられた意味を説明し、改めてアップル社のコアプロミスを確認。関係者の心を奮い立たせたのでした。
- 創業時の情熱と魂を呼び戻すこと。
- そのためには、人と異なるクリエイティブな発想をする人々を賞賛すること。
- 社員に前進する勇気と、バラバラになった心をひとつにすること。
「Think different.」の広告は、世界中の街中のビルの壁面やバスなどの交通機関に展開され、巧みなパブリシティ戦略が組まれました。表現やメディア戦略においても「Different.」が求められました。アップルのコーポレートシンボルは、7色表示から1 色となり、「Apple」という企業ブランドロゴは、「Think different.」というステートメントに切り替えられました。ステートメントがシンボルの一部になったのです。
そして、その半年後、歴史的な商品「iMac」が登場します。煩雑に拡張した商品ラインは、すべて廃版。家庭用パソコン「iMac」の一本に絞りこまれました。家庭の中で、気軽にクリスマスプレゼントできる12万円から18万円といった低価格帯。全ての機能が盛り込まれた俊速のパソコンは、デザインもリビングのテーブルに置いてもよいテイストに変わり、ウェブによるダイレクト販売がスタートしたのでした。
同時に、プロ用コンピュータは「G3」というブランドで上市され、1年後、周知の如くアップル社は奇跡的な復配にこぎつけることになります。
ブランド構築の要素:ブランディングミクス
この劇的なアップルの生まれ変わりの物語の中に、いかにバリュープロミスをコミュニケートし、ブランド再構築をはかったかを見ることができます。
1つは、商品戦略を、自分のバリュープロミスとしての「楽しい家庭用パソコン」にフォーカスしきったことです。価格や販売方法も「家庭から簡単に」というキーワードのもとに修正され、家庭でも映像編集が楽しめたり、ウェブコミュニケーションが楽しめる機能を盛り込みました。
デザインも、時代の空気を表現した半透膜ケースに収められ、女性やヤングユーザーマインドをつかみました。
コンシューマメーカーにとって、最大のメディアは、商品です。アップルらしい斬新な機能とパッケージ。思い切った価格とデザイン。商品が変わらない限り、アップル社の再生はありえませんでした。
2つ目は、衝撃的なコーポレートブランドキャンペーンによって、忘れ去られていたアップル固有の価値を強烈に訴求、再確認し、商品が寄ってたつことができる「企業ブランド」というプラットフォームを形成したことです。これらのキャンペーンの成功の鍵には、次のような事柄が考慮されました。
明快な宣言として、「ステートメント」を掲げたこと。
「Think different.」は、誰もが賞賛するアップル固有の価値でした。その象徴的な訴求は、社会的な現象として受けとめられようとしています。企業にも、個人にも、アイデンティティ が求められるこの時代に、人と違うことを考えること、自分らしさをみつけることの大切を説いたのでした。
エモーショナルな表現。
ブランド表現は、できるだけ言葉ではなく映像を中心とした五感で伝え、新しいエスセティクス(雰囲気)をクリエーションすることにより、ブランドの世界を「体験」することを意図しました。コンピュータが「データ」や「情報」という論理的なものであるだけに、もっと「感覚」「エ モーション」を大切にしようとしています。また、ブロードバンド時代にふさわしく、映像や立体を素材にした新しい表現が試みられました。
メディアミクスの巧みさ。
最低限のマスメディアの活用と、人々が街で目にする街中広告の活用。
そして、パブリシティの活用です。人が考えつかないような場所で、展開することが一つのポリシーになっています。 長期的な取り組み。
iMacの成功後も「Think different.」キャンペーンは全世界で継続されています。人を変え、ロケーションを変え、人々を啓発していこうとしています。スティーブ・ジョブスは、これらの「Think different.」キャンペーンは、10年間続け、人々に定着さえていく、といっています。長期的で一貫した情報発信によって、はじめて各世代におけるブランド認知とメッセージへの共感を生むということです。
ブランド再構築は、「バリュープロミス」を軸に、「コミュニケートする企業に変革すること」といえます。これらの要素を状況に応じていかに編集(ブランディングミクス)するかということが、ブランドによる企業経営活性化の要と考えます。
経営システムと強い意志
その後、スティーブ・ジョブスは、ほとんど無給でCEO代行をつとめ、12年間の空白を埋めるように、ブランド再興による経営のたてなおしを図りました。
これらのブランド再興の裏には、物流や生産システム、販売システム、人事システムなど、過去の失敗から学んだ経営システムの合理化があります。そして同時に、これらの成功は、20歳の時からこだわりつづけてきたアップルの価値「バリュープロミス」について、あらゆるステークホルダー(従業員、顧客、販売店、株主、社会や教育者)と相互にコミュニケーションを続けるという強い意志があったからともいえます。