ブランドの守り方、壊し方。
今までは、「ブランドをいかにしてつくるか。」というお話をしてきましたが、今回は、「ブランドをどう守るか。」というお話をします。
昨年発生した「雪印」の事件の経過を振り返りながら、ブランドをマネジメントする方法について皆さんと考えてみたいと思います。
ブランドが失墜した日。
2000年6月27日、午前11時29分。
雪印関西支社のお客様相談センターに消費者から電話が入ります。大阪工場でつくった低脂肪牛乳を飲んだ方から、「嘔吐した。」との訴えでした。毎日、全国6 支社に分散するお客様相談センターには、200から300の苦情電話が入ります。その時は、まだ、その苦情電話の一本でした。
早速、一番近くの営業所の営業マンが、お客様のお宅まで行き、その製品を飲んでみましたが、異常はなかったようです。翌日28日、お昼に同じようなクレームの電話が入りますが、それでもまだ「食中毒」だと気がつくには至りません。そして、同日午後1時40分、突然、大阪工場に大阪市保健所が強制立ち入り検査を実施、同日深夜、「自主回収」と「社告」を出す旨雪印に勧告します。もともと、このような広報には慣れていなかったことに加え、あいにく28日は、株主総会のためにほとんどの役員や関西支社スタッフは、札幌に集結しており、事実の把握と対応に遅れます。
29日、緊急記者会見を行い、「健康被害が広がる可能性があるため、雪印の牛乳を飲まないでください。」と呼びかけ、30日、やっと「社告」が関西地域で新聞掲載されます。しかし、その時はまだ原因がつかめていませんでした。出荷サンプルを調べても異常は見つからず、「何かある」という予感だけがあったそうです。
そして、7月1日、事故は事件に発展します。前夜に北海道から上京した元社長は、実態と原因が整理されていないまま記者会見を実施。「工場に問題はない。」といったときに、工場長が「実は、問題がありました。」と報告。会場は一瞬のうちに狂気じみた雰囲気につつまれ、その様子が全国のニュース番組に流されます。
7月2日、保健所より大阪工場に営業禁止命令。7月4日、今度は、関西支社で元社長より記者会見。記者会見が終わってエレベーターにのった元社長に、待ち受けていた1社のTVカメラが突進し、元社長の有名な発言「寝ていないんだ。」が全国に配信されます。問題発言はその後も続き、「保健所のメンツ」という言葉は、その後行政を敵にまわすことになります。技術役員の「牛乳消化の人種による違い」の発言は、人種問題、あげくのはては、同和問題まで発展します。
7月6日、社長辞任の発表。すでに、全国の工場と支社にマスコミや消費者、警察、行政、司法が押しかけ、現場は大混乱をきわめていました。なれない対応は、マスコミからインペイ体質と批判され、想定問題集や全社的な発言統一がないまま現場は翻弄されます。7月12日、全国20の工場の操業停止となり、外部による点検が実施されました。
一方、苦情処理にも時間がかかります。保健所からはクレーム名簿は公表されないため、従業員が一軒一軒、消費者を訪問します。マスコミだけではなくお客様の怒りも臨界点を越え、雪印は3万2000件の苦情電話とメールの対応、3万回の顧客訪問を実施します。SNOW BRAND = 雪印という、歴史のある信頼の高いブランドが一気に、その価値を失った瞬間でした。
ブランド再興にむけて。全社行動、開始。
事件発生後の翌7月の売上げは、対前年対比23%に落ち込みました。全国の販売店の棚からは、あらゆる雪印の商品が消えていき不買運動まで出現します。当然混乱は、社内にも発生しました。「何をやっているのかわからない。」「情報がまったくない。」「このまま会社は終わってよいのか。」
そこで、社外に向けては、広報体制、顧客満足をはかるきめ細かな対応策が練られ、社内では、イントラネットを活用した「VOICE PROJECT」が発足。6400名の社員全員が日々変わる事実関係の情報を共有すると同時に、「なぜこうなったのか」「これからのあり方」など、さまざまな経営に関する事柄が、ネット上で議論され、「激しい経営に対する批判、社員同士の批判」が展開されました(今もその議論は続いているようです)。また、全従業員が販売店、牛乳宅配店やレストランを訪問し、どこの店の棚にどれくらいの商品が「復活」したかを、毎日、社内で発表し、社内を勇気付けているようです。
2000年10月14日の大王工場の再開にともない、10月18日、雪印の全従業員が、全国のスーパーマーケットの店頭にたち、自社の商品と75万枚のチラシを配布し、全国の消費者に「もう一度お願いします。」と呼びかけます。
今まで顧客に接することがなかった工場や本社の社員も、店頭での、激しい怒りをあらわにする消費者やまったく無視する消費者の対応にその傷の深さを実感します。しかし、同時に、励ましくれる消費者にも出会うことができ、これからの雪印の再興を皆が誓い合うことになります。
リスクマネジメントがブランドを守る
事件が発生してから1年たち、雪印の売上の対前年対比は75%まで回復しています。しかし、食中毒事件を起こしたことと、その事件への対応がうまくいかなかったことによって、雪印は「信頼」という「ブランド」を失い、その回復はまだまだ0年の単位で考えなければいけない状態です。
良いブランドイメージを形成するには、大変な努力が必要ですし、常に私たちはそのことについて、精一杯の注意を払っていますが、ブランドイメージを悪くすることはそんなに大変な努力は必要ありません。そして、そのことについては、意外と無関心でもあります。
1回の商品(サービス)不良や1 本の苦情電話、1回の新聞記事が、ブランドに大変なダメージを与えた例は、雪印だけではなく数多くあります。一旦、信頼を失ってしまったブランドは、その回復に想像を絶する努力を強いられます。従って、良いブランドをつくる要諦として、まずは、マイナスイメージを出さない努力が求められます。
事件後、全国に6つ拡散していたお客様センターは一つに統合され、すべての顧客、マスコミとのやり取りが記録され、広報体制が確立されます。広報だけでなく、商品開発や営業、生産現場まで、消費者の生の声を聞くことができるようになりました。詳細で徹底した問答集をマスターした専門のオペレータが、顧客の反応レベルをキャッチし、感情レベルが高い電話は「警告ランプ」が表示され、リアルタイムで広報室と役員室に流されます。毎朝開催される役員会では、毎日コールセンターからの報告があり、月曜日は、録音されたテープを役員が聞きます。事件に関する広報では、200億円の支出が発生しましたが、より積極的で効果的なパブリシティの体制が組まれました。危機管理では、「私は」という1人称の広告ではなく、3人称の、それも権威がある、または大勢である「オピニオン」を動かすパブリシティの活用がものをいいます。
雪印では、事件の経緯を風化させないために、全記録をまとめているそうです。社内コミュニケーションの場「VOICE PROJECT」は、今、激しい意見交換がなされ、地域別にその活動が行われているそうです。ブランドは、その「強さ」と「連想・像」で示されますが、些細な事件がマイナスの「強さ」と「像」を顧客に焼き付け、その焼き付けられたイメージを塗り替えることは、たいへんエネルギーがかかります。
ブランドをマネジメントするということは、まずは、ブランドのマイナスイメージをつくらないことが大切なのです。